モスクワからキエフへ
今回の最初の目的地はウクライナのキエフ。
クリミア侵攻の後に、露宇間の航空便はすべて停止していたので、鉄道しか選択肢はなかった。(当時、航空便はミンスク経由が一般的であった)
モスクワ・キエフスキー駅からオデッサ行きの寝台列車に乗り込む。
※ロシアによるウクライナ侵攻後、鉄道の運行はもちろん止まっている。
二等寝台に乗り込むと、同室はウクライナから親戚を訪ねているという老婦と東部で農園を経営しているというロシア人のおじさんだった。
私たちが日本人だとわかると、チャイを振舞ってくれた。
列車は南に向かって走っていく。ソ連時代の車両は薄暗い。
ロシア出国・ウクライナ入国
深夜にたたき起こされて、ロシアを出国し、ウクライナに入国する。ウクライナ兵は「Welcome」と私に言うやスタンプを押してくれた。あっけない審査だった。
それと比べると、同室のロシア人に対しては辛辣だった。入国目的や仕事などを執拗に聞いた上、荷物をすべてひっくり返して調べていた。
彼もかなり嫌味を言っていたが、私はこれが戦争中の国なのだと悟った。
クリミア併合以降、ロシア人は招かれざる客なのかもしれない。
おじさんはいろいろ話をしてくれた。老婦はソ連時代にずっと働いていたが10万しか貯められなかったと、彼が通訳をしてくれた。ソ連時代はKGBもあってひどい時代だったと。私たちはソビエト時代の話を聞くのは初めてだった。
美しい街 キエフ
ウクライナの首都 キエフキエフに到着した。
まだ冬空の曇りの日だったこともあるが、モスクワと比べて、暗く感じた。
キエフは美しい街だと思った。モスクワとは雰囲気が違っていた。
宿泊予定のホステルに荷物を置かせてもらい、観光に出る。
黄金の門
11世紀に築かれた黄金の門。ムソルグスキーの「キエフの大門」として有名で、
家族にキエフに行ってくると伝えると真っ先にキエフの大門を上げてきた。
復元された門なので、そこまで感慨深いものはなかったが、歴史を感じた。
ここからはミュージアムパスのようなものを購入。
キエフの様々な施設に入れて学生料金40グリブナだった。
着ぐるみとソフィア大聖堂
ここではぬいぐるみを来たぼったくりのお兄さんとも話した。
旧ソ連の観光地にありがちな人たちである。一緒に写真を撮ろうなどと言ってきて、高額なお金をせしめ取ろうとするのである。私たちはお金がないから、というのだが、執拗に離れない。
仕方なく写真を撮って別れようとすると、「いくらでもよいのでお金をくれ」という。100円程度を渡すと、「これではご飯も食べれない」という。仕方なく日本のお金でごまかして離れる。
友人はロシアで鳩を乗せられて5000P程度せしめ取られていたが、こういう人種には絶対に関わってはいけない。
ソフィア大聖堂は立派な聖堂だった。ロシア正教会どころかキリスト教の世界も余り分からないので、ただただ見とれるだけであった。
このころからずっと宗教を勉強したいと思っているが未だに手につかない。
鐘楼から聖堂の眺めも良かった。ルーシの世界に来たという気がした。
マイダン広場
マイダンはウクライナの独立広場だ。
ここで、ユーロマイダン革命が2013年に起こったことも記憶に新しい。
訪問した2016年3月はクリミア併合から丁度3年が経った3月で、反露の集会が開かれていた。
昼ご飯はリヴィウ・クロワッサン
昼ご飯はリヴィウ・クロワッサンというお店で。
リヴィウはウクライナ西部の町で、このカフェは雰囲気がおしゃれだったので、
入ったところとてもよかった。ウクライナはヨーロッパだと思った。
聖ミハイルの黄金ドーム修道院
聖ミハイルの黄金ドーム修道院の繊細な美しさが心に残った。
水色と金色が可愛くて一目ぼれ。天気が良ければと思いましたが、それでも美しい。
ケーブルカー
キエフにはケーブルカーもあった。
夜ご飯はハンバーガー
雨も降ってきて空腹だったので、ハンバーガーで夜ご飯。
STAR★BURGERというお店。
トラムとメトロの旅
トラムの旅
まだ宿に帰るには惜しかったので、トラムに乗ってみた。
わけもわからず乗っていたので、よくわからない方向に行ってしまい、
すぐに下りて別の路線の電停に戻る。この暗闇を歩くのは非常に怖かった。
暗い電停から再びトラムに。どうやら終点は地下鉄駅のようだったのでそこまで向かう。
運賃は3グリブナだった。
辿り着いたのはГероїв Дніпра駅。怪しげな道を歩いてメトロに向かう。
この道もまた怖かった。
メトロの旅
薄暗かったがメトロに乗ってしまえば安心だった。
宿に帰るぞ、と思ったが隣のミンスカヤ駅が良かったので途中下車。
これまた薄暗い駅だったが、天井装飾が素晴らしかった。
ここまで見たところで、宿に帰る。
宿泊したのはSALVE HOSTEL。340グリブナ。二人で1300円ほどだった。