世界地図を読みながら

地球を動き回ってないと落ち着かない日常

私を旅に駆り立てるもの

私は旅が好きだ。大学に入ってから、所属していたサークルにいると酒浸りな生活になりそうで半年くらいして飽きて、バイトをしながら格安航空券を探しながら旅に出るようになった。

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鹿児島県与論島の海



私にとって初めての旅、というのはいつのころだったのか今をもってわからない。東海地方の小さな市に生まれた私の家族は遠出するのが好きだった。高山ラーメンを昼食にするために100キロ以上離れた飛騨高山まで出かけるし、4歳くらいの頃の話だが、朝起きたら父に「今から東京に行こう」と言われて、行きは東名高速、帰りは中央道を通って日帰りで出かけたことはよく覚えている。(その時は交通博物館に行ったり、東京駅で寝台列車を見た、気がする) 要は、出かけることは当たり前だった。

小学校に入学する春、私の家族は九州最南の街、鹿児島へと居を移した。当時は平成10年ごろ。新幹線も開通する前の鹿児島は、当時新幹線の通じていた博多から4時間以上かかる、本当に遠いところだった。私は大阪から船に乗って鹿児島に入った。今とはだいぶ時代が違う気がする。当時の鹿児島にはチェーン店も少なく、東海地方で知っているお店はほとんどなかった。食生活や言葉も本州とは違ってとても衝撃を受けたことは昨日のことのようだ。私たちの鹿児島生活はわずか3年間だったが、両親にはいろいろなところに連れて行ってもらった。長崎、雲仙、別府、黒川…おそらく当時の九州の有名な観光地はほぼ行ったと思う。奄美や与論、甑島など離島にも行った、あれは本当に幸せな時代だった。

私の旅行観を作ったのはこの時代であったことは間違いがない。故郷の東海地方とは「異なる(文化的、景観的)」九州で過ごし、様々な場所を訪れたことで、旅とは異なる場所に行くことという感覚が身に着いた気がする。そして、異文化での生活を通じて、言語や食文化、景色などは「どこでも異なるもの」であり、「同じものはどこにもないのだ」と気が付いた。おそらく、大学生が外国留学に行くような感覚かもしれない。

そのような生活を通じて私の中に、異文化に対する価値観や移動に対する価値観が形成された。

 

大学に入学して最初に長旅に出たのは北海道・樺太だった。高校、浪人時代からずっと憧れていた日本(帝国)の最果てを訪れてみたかったのだ。現在、樺太はロシア統治下サハリンとなっているため、旅券と査証が必要だ。公用語はロシア語だったので、入学した大学では第二外国語にロシア語を選択しておいた。正直あまり喋れなかったが、稚内から船に乗って樺太を訪れた。樺太では様々なロシア人に助けられ、計画を大きく上回る満足な旅ができた。かつての日本の建築物を見たり、朝鮮人(日本国籍をかつて有していた樺太残留朝鮮人)と日本語で会話をしたりと楽しかった。しかし、一つ不満が残った。それは私のロシア語が拙すぎたがために、ロシア人と満足に会話ができなかったことだった。せっかくロシアの地を訪れたのに、ロシア語ができないがために不自由な思いをしている自分が情けなかった。

 

帰国をして私はロシア語を勉強し始めた。授業もまじめに受けたし、翌年夏にはモスクワで開催された国費短期留学にも参加した。また、私は、ロシア語を勉強するにつれて、ロシアやその周辺国家(ロシア語を公用語または事実上の公用語としている)に興味を持った。かつてのソビエト連邦が今どうなっているのか気になったのと、自分のロシア語を携えて、どこまで旅ができるのか気になったからだった。

 

私の旅(観光旅行というより冒険的な)テーマはいくつかある。一つ目は「大日本帝国を見ること」。私は新聞や教育で語られる旧帝国や戦争に興味を持っていた。日本の場合は、概ね旧帝国や日本軍のマイナスなトーンが強調されるが、現在の実態について触れられることは少ない。もちろん私なりの政治信条はあるけれども、その語られない「いまの」日本統治地域(植民地という表現もある)を見てみたかった。

二つ目は「地図をたどること」。私は小さい頃から地図を見るのが好きだった。幼稚園児のころに47都道府県と県庁所在地は言えたし、学校でも暇があれば地図を読んでいた。あの海の向こうには沖縄がある、あの山の向こうは富山のアルプスだ、というような表現が大好きだった。そういう性格であることもあって、地図上で行程を立ててその通りに行ってみたかった。地図にあるこの町はどんな町なんだろうかという想像を現実のものにしたかった。だから、時間のある限りは陸路で行ってみたいと思う。(本命のヨーロッパまでシベリア鉄道はいまだに実現できていない)

三つめは「言葉をしゃべること」。これは割と新しいテーマかもしれない。私は鹿児島弁で育ち、岐阜県の言葉を母語とし、共通日本語を話す(しているつもり)の人間であるので言葉が変わることに抵抗はないし、ツールのようなものだと思っている。そのため、外国語には抵抗はない。(上手くは喋れないが) そのため、今は勉強しているロシア語圏に足を運んで、自分の言葉でロシア語を話しながら、旅をしたい!と思う。だからこそ、一般の日本人価値観では理解されがたい旧ソ連地域に足を運んでいる。このような書き方ではまるでその地域に興味が無いようだが、今まで知らなかったソ連の国々はどの国もエキゾチックで素晴らしく、ロシア語を学び始めて過去の自分を心の底から褒めて上げたい。ヨーロッパとロシアがまじりあったバルト三国、ご飯が美味しく教会の美しいウクライナ、シルクロードの香りが強い楽園のようなウズベキスタン…

そして、「自分の知らない町に行くこと」。前にも触れたけれど、私は、自分の住んでいる場所でない場所はすべて異なる場所だと思っているので、隣町に行くのも、外国に行くのも等しく旅だと思っている。正直日本国内でも言語や習慣は違うし、その振れ幅が広がったのが外国だと思っているので外国に出かけることにあまり抵抗はない。ちなみに、世界遺産とか観光地を見るのも嫌いではないけれど、知らない街を歩きながら、カフェでお茶を飲んでいる時間が一番幸せ。日本でも外国でも。

 

そんなこんなで私は旅に出ている。大体、旅のテーマは上の三つを踏まえた上で、Twitterで皆さんがつぶやいている素晴らしい場所やスカイスキャナーで調べる航空券の安さ、物価などを勘案しながら決めている。あ、今思い出したのだが、大学のクラスの友達にも旅好き、というかソ連好きがいてそういう友達からわけのわからない場所をお勧めされたりして旅の行先を決めることもある。今年は2月にウズベキスタン(経由で中国、カザフ、シベリア)、4月にハワイ、8月にイラン~ヘルシンキ、10月に中国~ウズベキスタンを旅した。大学生だからこそできる旅を積極的にしているのだけど、「暮らすように旅をする」が目標なのでいつまでたってもいろんな場所を歩けるといいな。