世界地図を読みながら

地球を動き回ってないと落ち着かない日常

新疆ウイグルで感じたこと

旅行記を公開している通り新疆ウイグルに行ってきました。

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まず、新疆ウイグル自治区とは、中国の西部に位置する自治区。

ウイグル自治区の名前の通りウイグル人が住んでいる場所です。

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カザフスタン、キルギス、タジキスタン、パキスタン、モンゴル等と国境を接しています。

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首府は烏魯木斉(ウルムチ)。私が訪れたのは烏魯木斉とカシュガル。

中国の西安から寝台列車で烏魯木斉へ入り、カシュガルへも寝台列車。

そして乗合自動車でキルギスへと抜けました。

 

【中国ライターの安田峰敏さんにインタビューされた記事はこちら↓】

gendai.ismedia.jp

  

 

現地で感じていたこと

 

 

私が新疆で感じたこと

(当時の日記を以下参照、長文。これを読む前に旅行記を読むことをお勧めします。)

新疆旅行全体として、私はウイグル人など少数民族が受けている扱いに憤りを覚えました。私達日本人や漢人は顔パスで通過できる身分証や手荷物検査も彼らは必ず受けなければなりませんし、道で呼び止められたら身分証を出さないといけません。また、ウイグル人思想家の墓やモスクなど宗教的な観光施設にウイグル人は一人も見かけませんでしたし、宗教的行為や服装をしている人はほとんどいなかったことから彼ら自身の権利を制限されているように見受けられました。他の中国ではそのようなことは無いのに、新疆に入った途端、少数民族であるウイグル人にはそのような生活を強い、伝統的な住居を破壊し観光地化(カシュガル古城地区や高台民居)するなど、ウイグル文化を否定しているように思いました。これは政府(共産党)権力による民族弾圧である、と感じました。

ただ観光面からは、烏魯木斉から眺めた天山山脈は雪を被っていて美しく、夜行列車に乗ると、光のない原野から、数え切れないほどの星を見ることができ、カシュガルではイスラム文化の色濃い伝統的な建物の世界は楽園のようでした。ウイグル料理は中国料理と異なり、中央アジアに近い料理でとても美味しいものです。私はとりわけラグメン(拉麺)が好きでした。注文後に手打ちされた手延面に、肉や野菜をトマトで煮込んだ熱々のソースを掛ける料理です。麺に腰もあって美味しかった。またカシュガル旧市街の看板にはウイグル語、中国語の他に英語、ロシア語、日本語の案内表記もありました。そのように文化的な建物もあり、ご飯の美味しい、観光に向いた場所だと感じました。

 

新疆を説明するとしたら、「少数民族が国家から弾圧されている様子をノービザかつ観光ガイドなしで実感できる場所であり、その場所はシルクロードの歴史ある趣深い素晴らしい地域である」と思います。(日本人が有している基本的人権と共産党政権下の中国が制限している人権の違いについて非常に簡潔に理解できる場所だとも思います。)

 

私は日本人の旅行先として新疆は”旅しやすい”場所である、と感じました。それは、新疆といえど中国であるため、他の中国同様一定の社会インフラは機能しており、公衆トイレやホテルも綺麗です。また、街中の看板には中国語が書かれているため簡単に内容を理解することができます。また料理の味付けも少し辛く感じることはありますが、日本人好みの味付けです。治安に関しても、皮肉ながら、街中至るところに防犯カメラがあり、交番があり、警官が常駐しているため、すこぶる良い環境でした。現地の少数民族は弾圧されているといっても日本人は顔パスで殆どの検査を通過できます。”悪いこと”をしなければ警官に咎められることもありませんし、安心して街を歩くことができます。ただ一つ煩わしく感じるのは身分証確認や尋問の可能性があるので外国語がわからない場合は負担に感じるかもしれません。(ちなみに私は北京語はほんの少しの表現しかわかりません)「ハードル」としては、ある程度、台湾や香港、上海などを旅したことある人なら問題なく旅のできる場所だなと感じました。(私のように治安機関を撮影するのはかなり危険が伴うのでそれは避ける必要があると思います)

割合日本から近いですし、中国とイスラム文化の混ざりあったエキゾチックなディスティネーションだと思います。

 

宗教弾圧

新疆最大といわれるエイティガール寺院は人の営みが感じられない場所でした。「アッラーアクバル」の額縁は剥がされ、正面右側のミナレットの塗装は剥げ、本来正面頂点にあったはずの月は落とされ、その代わりに中国国旗が掲げられていました。全体的に痛みが進み、修復もなされていない様子でした。玄関口から中に入ると、まずは「愛党愛国」とウイグル語、漢字で書かれたスローガンの看板が目に入り、その下に、切符売り場がありました。22.5元の入場料を払うと、旅券番号を控えられ、受付係から英語で「寺内の写真撮影は禁止で荷物はすべて預ける必要があります」と告げられました。私は、バックパックだけロッカーに預け、うっかりコートの下に着けていたウエストポーチを預け忘れましたが、刺又を背に、盾を装備した警察の横の金属探知機が鳴る音を聞きながら寺内に入りました。まず、寺内に入ると目に入るのは大小合わせて10個ほどの防犯カメラでした。黄色い落葉が落ちる埃だらけの道を進むと、礼拝所建物の正面には習近平国家主席とイスラム教指導者の写真や国家スローガンが高々と掲げられていました。また、礼拝所内部や講堂は白いビニールテープで入れなくなっており、絨毯は色あせ、埃がかぶっていました。建物内部にもや講堂にも防犯カメラは備え付けられていました。受付係に注意されていたことを忘れてしまい、写真を撮っているとやる気のない警備員から、北京語で撮影はだめだよと言われました。もっとも、すぐに横を向いてしまったので、何枚か写真の撮影は出来ました。疲れたので少し休もうと、ベンチに座ろうとすると、そこは埃を被っていて、とても座れる様子ではありませんでした。一人の掃除人が落葉を箒で掃いていましたがとても追いつきそうにない秋の寺院でした。

また、私は礼拝の時間が気になり、受付の男性に英語で「この寺院では、毎日何時から礼拝が行われているのか」と尋ねました。すると急に彼の顔は訝し気になり「あと一時間後から行われる」と答えました。さらに私が「私が見学することはできますか」と尋ねると「いや観光客は入れない」とそっけなく答えたのち「君は中国語が話せるか」とこちらの顔を伺うように尋ね、私が英語しか話せない、と答えると、そうか、と言い席に戻りました。

その一時間後、私はアザンの流れない「静かな」寺院の周辺を一周回ったのち、寺院正面から200メートルくらい離れた広場の一角から、「礼拝時間 謝絶参観」と書かれ赤い帯で締め来られた出入口を眺めていましたが、40分経っても職員以外は誰一人出入りしない玄関を眺めていました。広場には帽子を被ったイスラム教徒の老人が何人か寺院の方に向かってぼーっとしていました。どうやら礼拝は行われていないようでした

 

烏魯木斉やカシュガルにあったモスクのほとんどは封鎖されていました。「アッラーアクバル」などアラビア文字が塗りつぶされている寺院や頂点の月がへし折られている寺院、寺院の中には入れないように扉に鍵がかけられ、それが映るように防犯カメラが設置されている寺院もありました。キルギスへ向かう国境の街の寺院は軍人が厳重に管理していました。また、ある公衆トイレの中に設置されている足や手を洗う洗い場は物置になっており、礼拝のために身を清める行為はそこでは行っていないようでした。全体的に、町や人々の生活に宗教色は感じられず、新疆旅行中一度も人々の礼拝の様子を見ることはありませんでした。

 

また、現地の人の服装にも宗教色は感じられませんでした。一般的なイスラム教徒のように帽子を被り髭を蓄えている人は老人に限られ、若い人でそのような格好をしている人は一人もいませんでした。人々の格好は、襟付きのシャツを着用し、背広を羽織っている人が多く、全体的に落ち着いた雰囲気の格好の人が多くいました。

 

カシュガルで感じたこと

カシュガルの旧市街は古い建物を復元した新しい風情のある建物の並んでいました。旧市街は繁華街になっていて通りには料理屋が並び、昼間からプロフやナンや串焼きを焼いていて美味しい香りの漂ってくる場所でした。私はまさにシルクロードらしい、楽園のような場所だと感じました。しかしながら、その地区に入るためには身分証、手荷物検査が必要でした(観光客は不要)し、通りや路地の隅々にまで監視カメラが設置され、きれいな通りの写真を撮っていると警官が映り込んでしまうほど警官の数も多かったです。カフェでお茶を飲んだり、理髪店で散髪したりしましたが、復元建物のどのお店も、正方形の商売スペースがあるだけで手洗いも裏手も存在しない奥行きのない箱のような空間になっているのが印象的でした。復元建物は生活スペースというより、観光向けの商売場所であるようでした。

また、旧市街ですれ違う人の多くは老人や女性、子供ばかりで若者中年層の人は見かけませんでした。人口構成もいびつであまり活気はないように感じました。

最近復元されたであろう老城地区の他に高台民居という六百年前からの伝統的住居が残る地区がありました。そこは残念ながら改装をする、ということで入ることはできませんでした。出入り口は防暴とベストに書かれた警察が厳重に守っていました。しかし、周りを一周していると入れる場所を見つけたので偶然入ることができました。高台民居地域に入ると、今にも朽ち果てそうな土で作られた住居が並んでいました。その地区には防犯カメラもなく、壁に大きく赤いスプレーで×が書かれ、誰一人暮らしていない様子でした。衣類や生活用品などが散乱していたり、イスラム教の帽子が扉にかかっていたり、かつての生活の様子を垣間見ることもできましたが、人気の無い死んだ街でした。他の老城地区も新しく復元されていたことから、数百年間ウイグル人が暮らし続けたこの地域も政府によって壊され、観光向けの美しい復元地域になると思われます。

そして、バザールは本来の出入り口のゲートはほとんどが柵や鉄条網で囲まれ、警官が警備をする一部の出入り口からしか出入りできませんでした。そこでは例のごとく身分証確認と手荷物検査が必要でした。バザールには夕方訪れたこともありましたが、あまり、人気はあまりなく寂しげな様子でした。私は絹製のスカーフを買いましたが、そのときにこれは中国製ですか?と商人のおじさんに尋ねると新疆、中国産だよと告げられたのが印象的でした。

 

少数民族弾圧は本当にされているのか

 私は、中国共産党によるウイグル人の弾圧、とりわけ強制収容所への収容の事実についてそれが真実であるのかどうかわかりません。しかしながら、新疆ウイグルの街では、少数民族は常に身分証を携帯する必要があり、権力側の同じ民族であるウイグル人からの尋問や監視の可能性がある世界に生きていること。そして街中にはほかの地域では考えられないほどの監視カメラが設置され、四六時中監視をされている世界であることは事実です。監視カメラのみならず、異様なほどの警官が目を光らせ、至る所に交番がありました。また、中国国旗やプロパガンダが溢れる街に活気は無く、生産年齢の男性はあまり見かけず、女性や老人・子供ばかりが目立つ場所でした。数年前の写真と比べ活気が無いのは明らかに事実であると考えられます。

 また、宗教弾圧に関して、ほぼすべてのモスクや宗教施設は閉鎖されており、少数民族が礼拝をおこなうことは不可能であると思いました。エイティガール寺院のように観光向け寺院はイスラム建築パビリオンとして辛うじて存続していましたがそこに宗教施設の命はもはやありません。モスクは明らかに光を失っており、宗教施設としての使命はもはや建物の形だけではないでしょうか。

 私は滞在中ウイグル人による食堂や商店に何度も行きましたが、かなり避けられることがありました。その時は漢民族と似ているから、支配階級が憎くて避けられたのか、とも思いましたが、じっくり考えてみると、多くのメディアの取材源のウイグル人が拘束されたり、外国と連絡を取ったウイグル人が拘束されたという報道があることを考えると、現地においてたとえ観光客であっても外国人と接することは命とりなのかもしれません。髪を切ってくれた人や食堂で接した人さえ、私たちと接したことで拘束される可能性は否めなかったのかもしれません。推測ですが。

 私は旅行者の立場から、数日間しか滞在していない新疆ウイグルについて触れてきました。旅行者の立場からしても、幾度となく身分証確認や手荷物確認、出国の際には撮影した写真をすべて確認されるなど(それも二回も!)面倒な旅行でしたし、普通の世界ではないと感じています。一体何のために国家権力は一般市民をこれほど監視するのか甚だ疑問でした。何を隠そうとしているのか。

 きっと、新疆内の少数民族弾圧は真実なのだと感じてはいますが、それが本当なのか自信はありません。ただ、民族弾圧、民族浄化、異民族による支配、被支配者が被る不条理、21世紀の侵略はこのように行われるのだと強く感じました。新疆ウイグルは私たちにそれを端的に、そして強烈に示してくれる場所でした。中国政府による人権弾圧パビリオン、ショールームのような場所でした。現地民にとってはガラス張りの地獄のような場所でしょうか。

私はこれを見ても、何かすることは出来ません。ただブログに綴ることしかできません。ただ、新疆ウイグルの少数民族が安寧に暮らせる未来、われわれ旅行者が美しい新疆を安心して訪れられる未来になることを祈っています。