世界地図を読みながら

地球を動き回ってないと落ち着かない日常

外国に行くこと

学生時代最後の旅の予定を決めている。 

今回の旅行は友人と行くため全員の予定や旅行会社との調整もあってだいぶ時間が経ってしまった。出発までは一か月を切っている。申請するビザは一国だけだし、まぁ大丈夫な気はする。貧乏性なのとスケジュールの都合から家族を連れて数日間旅行してから友人と一週間程度合流、最後は一週間弱一人で旅をするつもりだ。

 

最近よく、「外国に沢山行くんだね」「外国が好きなんだね」と聞かれることが多くなった。もちろん外国は好きだし、今日のランチも友達と西日暮里に「ザクロ」で死ぬほど中東料理を食べ倒してきた。外国のものを身に着けていたり、外国のごはんを食べる比率は、日本で暮らしていても普通の友達よりは多いと思う。

でも自分の中ではちょっと違うな、とも感じる。もちろん外国のものは好きだが何かが違う。思えば、日本から出国したことのない頃は「外国に行く」ということは「大変なこと」だと思っていた。お金持ちが、道楽のために行くものだと。しかし、何度も出国するようになってからその認識は変わった。昔の話は分からないが、少なくともバックパッカーが下関や大阪、那覇から船で出国していた時代とは違って、日本のどこからでも一万円あれば隣国に向かえる。ちょっと前から買っておけばハワイでもバンコクでもそのくらいの値段で行ける。「外国に行くこと」は「気軽なこと」なのだ。むしろ宿泊費や食費(とりわけお酒を飲まない私にとって居酒屋がメインの日本)と比べて比較的安価に済む外国の方が旅に関わる費用は低いことが多い。私にとって料金の高い新幹線でないと行けない場所よりもLCCや飛行機のマイルで行ける場所の方が心理的に近い。名古屋まで指定席で1万円ならLCCで台北いっちゃうよ。

そう思っているのと、私の中で異文化への適応が割と簡単にできること、言語が違ったって、ちょっと勉強すれば片言なら話せるようになるし、最後はボディランゲージでもいいかなと思うからとりわけハードルは無い。だから、外国に行くことには抵抗はない。ちょっと鹿児島に行くのと外国に行くことは私の中ではほとんど変わらない。通貨だってカードがあればATMでキャッシングできるし、日本国内でだって現金を持ち歩きたくないから支払いの大半はカードでしている。パスポートを持って、SIMカードを買うくらいしか変わらない。ちなみに日本国内でも、自分のいる場所から離れたとき、文化は違うし、言葉も違うし、異文化であることは変わりはないと思う。標準語やチェーンの進出によってそれを気にしない人が多いだけで。

まぁもちろん結構費用のかかることなのは間違いない。大学の前半はバイトをしながらためたお金の大半は航空券代へと消えた。それは土地勘を養うための投資であって、いつか生きてくると思って目を瞑っている。だって東京で友達と夕食食べたりお酒飲んだりすると一回3000円は少なくとも飛んで行ってしまう。そういう時間の過ごし方ももちろん好きだけれど、映画好きな人が映画を楽しみに見たり、ワインを好きな人が高いワインにお金を費やして過ごすように、私はただ旅に費やして至福の時をご過しているのだ。多くの人にとって旅や旅行は贅沢品であり、生活費の余剰をあてる嗜好品であろう。しかし私にとってはそれが無いと生きていけない、生活の一部、なのだ。

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